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わんばらんす

日々の疑問や悩み‥“心のばらんす”がいちばん!素朴な疑問は“なんでなの~っ?”って大空に向かって叫んだら気分は爽快~♪

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昨日は、やっぱり書けませんでした。
穴が開いちゃうからあとから何か補充しておこうかな~? 


らんきーお玉喜八アブナイから・・・
玲奈さんとむ丸号も、絶妙なばらんすで頑張ってるよ~!
現政権に「ノー」を突きつけるために・・。 



何が大事か、よく考えましょう!

みんなで協力しなければ・・・「自・END」なんて夢に終わってしまうんじゃないかな?

ほんとうは、静観するつもりだったんだけれど、勇気を振り絞ってちょっと書くことにしました。・・・もうご存知のかたもいらっしゃると思うけれど、ブログを書くことに疲れてしまったようで、やめてしまおうかというエントリーが続いていて、とっても心配だった ◆らんきーブログ で、新年早々からまたコメント欄が賑わっていたみたいです。本当は賑わっていたのではなく、あまり気持ちがよくないコメントが多々つけられていて、その正否よりも何よりも、少々ビックリだった。それは、とても新年にふさわしいとは思えないコメントだったからです。同じように感じているかたも他にいらっしゃいましたし、こういうのを見るにつけ、「どうして?」と、ほんと新年早々から暗い気持ちになりました。

「新年のごあいさつ」を躊躇(ためら)わせるようなコメントは控えるのが常識であると、私は思いました。言いたいことは、皆それぞれにあるだろうけれど、それこそ、2007年にさんざん聞かされた「KY」がすぐに頭に浮かんじゃいましたよ。日本には昔から、『お正月には「新年を寿ぐ」という心をもち、松の内だけでも平穏におだやかな気持ちで時を過ごす』ことを心がけ、そしてそれを美徳としてきたのが日本人で、そういう心遣いはゴミのように棄ててしまわないほうがいいと思っているわけなんだけれど(私だけでしょうか?古いですか?^^;)、そんなこともお構いなしっていう神経には、つくづく脱力してしまった年のはじめなのです。反省すべきことって、人間、誰にでもあると思うし、みんなお互い様ということで仲良くできないんでしょうか。

下の記事は、私が「らんきーブログ」と交流するきっかけになった記事について、ぶいっちゃんが新たに書かれたエントリーです。私は、その内容の真偽ではなく、ぶいっちゃんの温かい人柄に惹かれて、記事について賛同のコメントを書いたのでした。ただ読むだけの私だったんですが、なぜ「お初コメント」を書く気になったかと言えば、実際、その文章に触れて気持ちが温かくなったからで、「温かい記事をありがとう」と伝えたかったからです。でもなぜ、そんな心の交流に、「正しい」だの「間違っている」だのと、他ブロガーが口を挟むような批判記事を、今さらわざわざ書く必要があるのでしょうか?ぶいっちゃんは、それらが面倒なことや疲れもあり、ブログをやめたいとまでおっしゃっています。

べつに、どちらに肩入れするとかではなく、私たちがいったい何のために時間と労力を割いて、ブログ記事を今書いているのかを考えると、これらの批判などは、まったくもって不毛でしかなく、結束が崩れるだけで、みんなが蓄積してきたエントリーまで「無」にしてしまうことにも繋がってしまうのではないでしょうか?

2008.01.05
水の話だけに水掛け論か?(笑) 【言葉の力】
2008.01.01
明けましておめでとうございます


世の中には、「科学」に裏打ちされなければマチガイだと思っている人がたくさんいる。それも自由だと思います。でも、私は、まったくそう思っていないんですよね~。でもブログというのは、それぞれが自論を書けばいいだけで、お互いに悪意をもって干渉することには、嫌悪感すら感じてしまいます。ここで言いたいのは、自ブログで自論を展開するのは自由だけれど、人のブログの批判を記事にするというのは「自・END」においては、何の力にもならないし、それどころか崩壊の引き金にすらなりうるんじゃないのかって危惧しています。

ものごとには、「擬似」か「本物」か?の真偽を正さなければならない時もあると思うけれど、話の本筋が何なのか?によって、厳密である必要はない時だってあると思います。「気持ち」が伝わればいい時だってあるってことです。科学だって、この世の中からすると一部でしかなく、しかも刻々とその実態は変化している。人間がこの世のすべてを把握しているなんて思ったら、それこそそれは「人間のおごり」だと思います。昨日まで証明できなかったことが今日証明される。昨日まで正しいとされていた事が今日マチガイだったとなることもある。それが科学。たとえば、「万能細胞」。「万能細胞なんてない」ってのが、昨日までの医学界の常識だったけれど、今日からは、そのほうがマチガイになってしまったわけです。


何が言いたいかといえば、「科学」や「根拠」はすべてではないということ・・・。

大切なのは「何を言いたいのか」を「感じとる気持ち」じゃないでしょうか?

上記コメント欄で・・・
一読者さんというかたが書かれていたとっても素敵なコメント・・【私はそれを読んで、これこそが気持ちが通じるということなんだと、つくづく思いました。】
SOBAさんが書かれていた・・【そういう人って、宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』を読んで、「銀河に鉄道が走るわけないでしょ、何を非科学的なことを言うの」なんて言うのかもね。(笑) 】
・・というのも同感です。

科学的根拠などで証明不可能な「人間の心」が、本当は、もっとも重要なことなんじゃないのかって思う。科学絶対主義の人たちだって、恋愛で相手から「愛しています」とか「好き!」とか言われたとしたら、まさか「じゃ~それを科学的に証明して、根拠を述べなければ信用できないよ」などとは言わないでしょうからね。「霊魂」や「UFO」を信じている人もいるし、信じない人もいる。でも、それはどちらが正しいのかなんて誰にも判らない。

「信じるものこそ救われる」っていうことだってある。それが人間で、それが人間の良さでもある。

ブログの記事は、言葉と言っても所詮「文章」でしかないんだけれど、それでも、それを書いているのは人間なんですよね。だから、その文章には、「行間」もあれば、「裏に隠れている思い」もあれば、いろんな感情に裏打ちされているということで、ときには根拠などなくても、それを読んだ一部のかた達へ、その気持ちが伝わればそれでいいんだって思って書いています。大切なのは、共感する気持ちだと思うんです。もちろん世界中の人が同じ共感なんて有り得ないんだけれど、少なくとも「自公打倒」という目標があるのだから、「大同小異」で自我を抑えることが賢者の選択なのではないかと思います。


私は、人のブログを批判したことは、ほとんどありません。なぜなら、「自公打倒」という目的があるのに、その目的を共有しているブログを批判しても、意味がないからです。意味がないどころか、批判すればするほど、それは自滅の一途を辿ることに他ならないと思うからです。第三者から見たら、こんなにバカバカしいことはないんじゃないかな?かろうじて民主主義の国で、それぞれが自由に書いているわけで、自分が伝えたいことを書き、それが偶然にも思いが一緒の人たちで連携できて、今の政権に終止符を打つことができれば、それでいいと、ただ単純に思う。なぜ、同胞ブログを批判する必要があるのかが、本当にわかりません。

でも、なぜか、リベラル系ブログでは同胞を批判することが多発してしまうんですね。何度も書いてきましたが、自民党などの「カネ・カネ・カネ」みたいな集団のほうが、その結束力はウラヤマシイほどの強さがあります。でも、片や、リベラルという思想からきている集団は、各自の主張が強すぎて、必ずと言っていい程の結束力の無さに終始してしまう。こんなことでは、「自公打倒!」なんか、絶対に無理です。私がブログを始める少しまえにも、そんなようなことを「STOPなんとか・・」っていうので、垣間見たように思います。あの時には、私自身が傍観者(読者)だったから、第三者にどのように映るのかが、今も手にとるようにわかっちゃうんですよね。なぜ、同じ失敗を繰り返すんでしょうか?


「大同小異」・・・でいきませんか~?
敵はいったい誰なんでしょうか?
攻撃すべきは「自公政権」ですよねぇ~!?


敵は本能寺にあり!!! 



衆議院自公にも・・・NO!
いのち 小

_______________________________________ by わんばらんす^^

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