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わんばらんす

日々の疑問や悩み‥“心のばらんす”がいちばん!素朴な疑問は“なんでなの~っ?”って大空に向かって叫んだら気分は爽快~♪

「建国記念の日」に・・・憲法の話です!^^

一昨日のNHK「日中戦争」で、昨日の記事を書いたけど、引きつづき、お玉さんお薦めの ETV特集 「焼け跡から生まれた憲法草案」を観た。昨日の「憲法草案」のほうが感動しました。って言っても片や「戦争」、片や「憲法」、内容が違うんだから、当たり前ですね。当たり前と言っても、自公が検討している憲法の話はムカムカするんだけど。(笑)

民間の有志らが7人が集まって、新しい国に相応しい憲法を研究し、そして草案した。

皆、「明治憲法」の下に言論の自由を奪われたり、投獄された人もいる。敗戦を機に「今が本物の民主主義に変えるチャンスだ」という魂の叫びに駆られて、違う分野の専門家たちが集まったのだった。彼らに共通していた想いは、「打倒軍部」。もっと言えば、戦争が終わるまえから「彼らの敵はアメリカではなく日本の軍部だった」ということ。彼らは、心の中で「平和の準備」をしながら敗戦を待っていたのだ。彼らだけでなく多くの国民も同じ想いだったに違いない。これだけをみても、どれだけ軍部が民衆を迫害してきたかが判る。そこへやっと敗戦し、アメリカがやってきた。そして彼らの憲法草案は陽の目をみることになった。その時、アメリカは彼らにとっては救いの神だったはず。

歴史というものは不思議なものだ。平成の、21世紀の今、あの60年前に神だったアメリカが、その平和憲法である「日本国憲法」を力づくで壊そうとしている。日本にもアメリカにも、心ある人間はいなくなった。いや、ただ心ある人々が権力を手にしていないだけ。

60年前の、これらの人々が今の政治をやってくれれば、どんなに変わるだろうかと思うし、彼らになら「日本国憲法の改正」も任せてもいいのですいい‥というよりも、お願いしたいくらいです。確かに時代が進んでしまい、足りないところなどはあるはずなのだから。なんせ作り手が手直しするのならば、より良くしてくれるに決まってますものね。こんな素晴らしい信念は今の政府には本当にもうないのか。

あっ!あの頃も、政府は 「インチキ草案」 を準備していたんだったっけ。

憲法問題調査委員会(松本委員会)は、「主権在民」にする気などなかったんだから。

◆ ETV特集 (毎週土曜日・22時~23時30分 NHK教育テレビ)
焼け跡から生まれた憲法草案 07/2/10/(土)
 ― 以下転載開始 ―
日本国憲法が施行されて60年になる。その誕生に新たな光を投げかける資料が最近、関心を集めている。終戦直後、日本人が構想したさまざまな憲法草案である。政府やGHQとは別に民間の憲法草案が作られていたのだ。

中でも注目されているのが、在野の学者やジャーナリストが党派を超えて集まった「憲法研究会」 。1945年12月に発表された「憲法草案要綱」は、国民主権と人権尊重の原理を掲げ、「日本国ノ統治権ハ国民ヨリ発ス」とし、天皇の役割は儀礼的なものに制限。象徴天皇制の原型とも言えるものだった。 GHQの民政局はこの草案に着目。法律の下の平等や、拷問の禁止など、基本的人権の規定には、GHQの草案を通して現在の憲法にそのまま取り入れられた条文もある。

GHQが瞠目した画期的な草案は、どうやって生まれたのか。中心メンバーだった鈴木安蔵が書き残した記録からは国民主権に基づく新たな憲法を生み出そうと、議論を重ねていった様子が浮かび上がってきた。

番組では、敗戦直後の近衛文麿や政府の草案作りや自由党、社会党など政党の憲法案も紹介。焼け跡で、新しい憲法を構想した戦後日本人の姿を浮かび上がらせていく。

 ― 以上転載おわり ―


◆ 日本国憲法の誕生 国立国会図書館

◇ 憲法研究会「憲法草案要綱」 1945年12月26日

◆ Q4.「押しつけ憲法」だから変える?
A.「押しつけられた」のは国民ではなく当時の支配者層
 ― 以下一部引用開始 ―
そもそも「押しつけ」とは、今の憲法は「よくない」という特定の価値観に基づく議論です。はたして、改憲派の人が指摘するように、日本国憲法は、米国による「押しつけ・植民地憲法」というべきなのでしょうか?
日本国憲法の成立を考えるにあたって、まずふり返っておきたいのが、アジア・太平洋戦争の終結・敗戦と、その際日本政府が受託した「ポツダム宣言」です。このポツダム宣言は、無条件降伏ということにとどまらず、新しい日本のあり方として、平和、基本的人権、民主主義を掲げ、これを受託した日本政府にとっては、この実行が国際公約となったわけです。
しかも、注意してほしいのは、このポツダム宣言では、連合国が民主主義をゼロから創るとしたのではもちろんなく、「日本国民の間における民事王義的傾向の復活・強化」(第10項)と言っています。
これは、近代以降の日本にあった明治期の自由民権運動や大正デモクラシーなどの民主主義の伝統、国家権力からの弾庄を受けながらも地下水的に受け継がれて来た民権の伝統が、そこでは想定されていたわけです。そう考えると、日本に本格的な民主主義の制度が成立するのは歴史的必然だったと言えましょう。戦後改革は、「押しつけ」によって無理やり日本になかったものを産み出したのではなく、もともとあったものの産出を助けた、いわば ″産婆術″だったのです。

結論からいうならば・・
あらゆる点で「押しつけられた」のは当時の支配者層であっても国民ではありません
   全文は  こちら
 ― 以上引用おわり ― (太字・色文字・下線 by わんばらんす)
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◆ 自由民権運動 Wikipedia


■明治政府に阻まれた民権家の「素晴らしい憲法草案」/ 自由民権

誰かが「日本国憲法」ができたのは、ボロボロの日本の気持ちとアメリカの思惑が合致して「奇跡的」に生まれたのだと言ったけれど、この7人が自主的に集まったことだって「奇跡的」だったと言っていい。番組では、憲法研究会の鈴木安蔵氏が草案を模索しているとき、明治の民権運動のことを知りたいとわざわざ高知まで出向き、結果「民権運動家・植木枝盛氏の憲法草案」を見つけることができ、それをみた鈴木氏はあまりの主権在民思想に驚いたと描かれていた。その植木氏は、アメリカやフランスなどの自由思想を学び、そこから草案したのだから、驚くほど「革新的」だったのは当たり前だったわけです。

日本の知識人は、明治の頃から世界の憲法を学び、自分達の考えでこの「日本国憲法」の元になる下地をつくっていたといっても過言ではないのです!

しかし、その主権在民の憲法草案は、封建的な明治政府によって葬られてしまったのでした。こんな良い憲法を。竜馬が言った「日本の夜明け・・明治維新とは何だったのか?」と強く思わされます。そして、65年後「日本国憲法」において、ようやくその思想が陽の目をみることができた。この「明治憲法」「日本国憲法」のあまりの違いについてはとむ丸の夢さんがとっても詳しく書かれていますのでいってご覧下さい。^^

■今日のどこどこ
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◆ 保坂展人のどこどこ日記 2007年02月11日
「官から民へ」は官を民が代行する時代を生んだ
時には官邸・各省庁・裁判所とスポンサーを変えながら、「官の方針はこうです」と巧みに語りかける役割を担うのが「民」の広告産業だとしたら、「官から民へ」と渡っていったのは「官」のお面ではなかっただろうか。  全文は  こちら


日本の夜明け・・・朝がくればかならず夜がくる。歴史は繰り返される。
やっぱり・・・今は夜。いつになったら夜明けがくるのか???

_________________________________________ by わんばらんす^^
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